FC2ブログ

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

瞑想 ~ ラカン寺

一ヶ月以上更新ご無沙汰してたら、変な広告がトップに出てました。
ちゃんと生きてます(笑)


前回に引き続き、今回もデジカメを壊してしまいました・・・・
データはSDカードに入ってるんで大丈夫なんですが、電源が入らなくなってしまったので、データをとりだせないっっ!!
さすがにもう旅行保険を使うのははばかられるので、自費でもう少し丈夫で打たれ強いデジカメを買いました。
防水性です。
しかし、衝撃には弱いらしく店員さんに「ストラップつけてください」と言われました・・・ごもっとも(笑)


ということで、話はパタヤからバンコクへ戻ってからのこと。

バンコクで、欠かしてはならないこと・・・・それはワット・ラカン(ラカン寺)へ行くこと!
42779548_4051107769_convert_20100113020201.jpg

「寺かよ!ジジくさい!」なんて言わないでください(笑)
この寺は、ワット・プラケオ(エメラルド寺院)のように世俗にまみれた寺じゃなくて、ホントに地元の信仰心の厚い人たちがお参りにきたり、瞑想しに来たりするお寺なんですから。

「たかが瞑想しにバンコクまで行くのか?」という貴兄もいらっしゃるかと思いますが、やはり瞑想というのは、世間から隔絶されたところでこそなし得るものです。

残念ながら、日本にはそういう寺や神社はなかなかなく、もしお堂に入って瞑想してようものなら、「何してるんだ!」と怒られてしまいます。
もちろんタイのお寺も、ほとんどのところが観光地化してはいるんですが・・・

地下鉄で、チャオプラヤ川に一番近い駅のファランポーン駅まで行き、そこからバイクタクシーでター・チャンという川の港へ行く。
この行きかたが、バンコクでは一番早い行きかたです(だと思う)。
42779548_3416776776_convert_20100113020021.jpg

バイク・タクシー、日本にもあればいいのにな~と思いますが、安全性の面でまず日本政府がウンと言うわけがありません。
とにかく渋滞の中を縦横無尽にスリ抜けて、すごい速さで行ってくれます。
時間を浪費したくないときは、バイク・タクシーに限ります。

しかし、降ろされたところは、ター・チャンの隣りの渡し場の「ター・ティアン」でした・・・しつこく言ったのに!
でもこんなことはタイでは当たり前です。
歩いて500メートルくらいで、隣りのター・チャンに着き、3バーツ(9円弱)払い、渡し船へ乗る。
42779548_3969466095_convert_20100113020135.jpg


この渡し舟を渡ると心が落ち着きます。
かなりトリップできます。
42779548_3935104544_convert_20100113020054.jpg
42779548_4163185580_convert_20100113020232.jpg

日本も橋ばっか作らないで、のんびり渡し舟で通勤・通学なんていいんではないでしょうか。
夏に来たときは、きれ~いになったラカン寺の参道ですが、タンブン用の魚類を捕まえては売る人たちが戻ってきてました。
子供たちに魚類を捕らせてました。
42779548_124950164_convert_20100113015513.jpg

最近のタンブンは、動物愛護の精神からか、魚類を川に逃がす方式から、パンを買って魚やハトに与える方式が主流になってきました。
日本だと、「魚にエサを与えないでください」とか、「鳥にエサを与えないでください」「猫にエサを与えないでください」などなど、とても小うるさいものですが、タイの場合、生き物に食べ物を与えるのは、徳を積むことになるのです。

そのかわり、どんどん繁殖していくのでこんなことになります。
おばちゃんが、バンバンエサを撒いてました。
42779548_819376466_convert_20100113015719.jpg
増殖してます。
42779548_1923390741_convert_20100113015853.jpg
42779548_1181846026_convert_20100113015823.jpg


ハトもあいかわらず。
42779548_386561993_convert_20100113015553.jpg


まあ、中絶手術が法律で禁止されている国ですから、生き物がどんどん増えていくのはいいことなのだ!という考えなのでしょう。

ラカン寺のお祈りするところは、行くたびにちょっとずつ変っています。
今までは、お布施を納めて、蓮の花とお線香とろうそくをいただき、お祈りしてから納めるような方式でしたが、今回はお坊さん(たぶん高僧)の像に金箔をもらって、自分の悪いところとかにペタペタ貼る、という、いわばとげぬき地蔵的なものがありました。

やはり日本人もタイ人も考えることは一緒なのでしょうか。

本堂の中は、ほぼいつもどおり変りなく、お祈りをしてから瞑想に入りました。

ラカン寺の「ラカン」は鐘のこと。
鐘は108つ、つまり煩悩の数だけ吊られていて、参拝者は鳴らすこともできます。
42779548_3305844196_convert_20100113015925.jpg


今回の旅のお供の本は、小池龍之介「仏教対人心理学入門」
仏教対人心理学読本仏教対人心理学読本
(2009/09/25)
小池龍之介

商品詳細を見る

あいかわらずリゾートできない日本人全開です(笑)
この著者は、お坊さんなんですが、大学時代にかなり西洋哲学を学んだそうで、心=認識についての分析が、とても科学的でわかりやすいです。
宗教というと、「ただ疑わずに信仰する」という面が少なからずありますが、だとするとこの本は宗教の本ではなく、科学書だといえます。
この本の中では人間の煩悩について、とても詳しく書かれているのでお勧めです。


ちょうど、ラカン寺に来たこともあり、今回は「煩悩」について瞑想してみました。

煩悩とは、煩わしく悩ましいこと、人間のもった欲、怒り、自己中心的な気持ちなどから発する業、簡単に言えばストレス。
このストレスとゆうもの、私たちは人様から与えられて感じているものだと思いがちですが、実際には五感を通じて脳に伝わった情報を自分自身の観念によって、「怒り」とか「不安」などのストレスに自動変換してしまいます。

たとえば、マンションの隣りの部屋から、強烈なデス・メタル(音楽)が突然流れ始めた場合、私たちは「なんだ!?」「うるせえ~!!」「隣りのキ○ガイ野郎がまた始めやがった!」
「せっかく寝てたのに!」「仕返しに壁をドンドン鳴らしてやれ!」といったように、ストレスを感じて怒りの感情が湧き上がってくることでしょう。

しかしながら、聴いてる本人は、快感に浸っていて、もしかしたら「こんないい音楽をマンションのほかの連中にも聴かせてやろう」などと思って大音量で聴いているのかもしれません。

同じ「音」でも、捉え方によって「快感」であったり、「不快=ストレス」であったりするわけです。

人間は、「音」を「音」として捉えることができません。
「この音とてもいい」「心が和む」「うるさい」「耳ざわりだ!」とゆうふうに自分の感性というフィルターを通してしか観じとることができません。

食べ物を食べても、「うまい」「まずい」「からい」「しょっぱい」「あまい」「すっぱい」といった感じに。
決して、「これは米である」とか「これは卵である」「秋刀魚である」というような感じ取り方はしないはずです。

大好きな人が痰がからんで、「かぁ~っ!ぺっ!」とやっても、「大丈夫?」「喉の調子悪いの?」などと気遣いをするのに、大嫌いな上司が会社で同じように「かぁ~っ!ぺっ!」とやったら、「もうこんな会社辞めたい・・・」ところまでストレスを感じるかも・・・・?

自分がなにかに「怒り」や「不快」を感じたとき、その感情をしっかり客観的に見つめることができるかどうか。
「あ~、また感性がストレスを感じはじめたなぁ~」と客観視できるかどうか。


ラカン寺での瞑想は、この自己中心的な感性によって感じた(感じさせられてしまう)日常生活や過去の出来事での「怒り」や「不快」について、何度でも思い出して、つぶさに観察してみました。

最初のうちは、「そんなこと言っても、自分は仙人じゃないしィ~っ!」「自分も自己中心的だけど、他の連中も自己中心的じゃん!」「自己主張してこそ人生!」「あ~っ不自由!不自由!」といった今まで身についてきた「自分大好きマインド」が暴走して、抵抗するんですが、そんなことを小1時間以上続けてると、「・・・・まっ、いいか」という気持ちになってきて、今まで変にこだわってたことが、それほどこだわることじゃないんだな~、と感じはじめたところで深い瞑想状態になって、アルファ派だか、ベータ派が出てるような、やすらかな気持ちになりました。

ちょうど、お寺の外に睡蓮が咲いていたので、睡蓮になったような気持ちで、水にプカプカ浮いて、風に揺られて、虫が飛んできて・・・というイメージです。

不思議なのは、あれだけ首や肩が痛かったのが、集中して瞑想状態に入ると、まったく痛みを感じなくなるんですねぇ~。
縺吶>繧後s_convert_20100225155934

でもその後、瞑想を解いたらまた痛みはじめましたが(笑)

やはり、このお寺の雰囲気がそんな気持ちにさせたのでしょう。
その後、日本でも瞑想してみましたが、全然そんな気持ちにはなりませんから!


すっかり浄化された状態で、チャイナタウンの牛スープ屋へ行きました。
ちょうど、シンガポールからのお客の大量注文があったらしく、お店の人たちはてんやわんやでした。
そして、最後の一杯残った牛スープにありつくことができました。

これも「欲」が小さくなったことによる良いカルマのおかげかしらん?

いつもなら、3杯くらい食べなきゃ満足できないのですが、この日は一杯の牛スープとご飯を、かみ締めながら、「ありがたやありがたや」と感謝の気持ちでいただきましたとさ。

091229_150309_convert_20100113014720.jpg


スポンサーサイト

テーマ : 雑記 - ジャンル : サブカル

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。